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「貯金をしたがる人の気持ち」について考える

こんにちは、にわです。

私は「貯金をしたがる人」だと思うので、先日Voicyブログで、キングコング西野亮廣さんが推測されていた「貯金をしたがる人の気持ち」について、当事者として記載してみたいと思います。



西野さんが考える貯金をしたがる人の気持ち

西野亮廣さんご自身は貯金はしない、と言っているのを、過去のVoicyか何かで聞いたことがあるので、貯金をしたがる人の気持ちは、本来的には理解できない側なのだろうと思います。

今回も、それでも寄り添って考えてみました、という感じで、考察されていたので、貯金をしたがる人である私がなぜ預貯金に励むのかについて、今日は記載してみたいと思います。

「貯金をしたがる人の気持ち」に寄り添ってみる』(←西野亮廣さんのブログはこちら)

私もやみくもに理由なく預貯金に励んでいるわけではなく、自分なりの理由はあります。貯金をしないという人からすれば、理由になっていないのかもしれませんが…。



貯金をしたがる私にとっての金融機関の捉え方

増やすために預貯金をしているわけではない

低金利の昨今、普通に金融機関で預けておいてもほとんど増えないし、物価があがれば今買えるものも10年後には買えないかもしれない、という貯金をしない人の説がありましたが、「貯金をしたがる人」である私が思うに、預貯金に励んでいる人は、そして、高金利時代を知らない私と同世代以下の人たちは、そもそも増やそうという発想で預貯金はしていないと思います。

「金融機関にお金を貸している」のではなく「お金を預かってもらっている」という感覚

金融機関にお金を預けると、自分のお金なのに、引き出すときに手数料を取られる、というのはおかしいだろう、友だちにお金を貸して、返してもらう時に、貸した自分が手数料を払うなんてことはないだろう、という話がありましたが、これも、「貯金をしたがる人」からすると、金融機関にお金を「貸している」わけではなく、自分の手元で管理するのは煩雑なので金融機関に「預けて」「管理/保全してもらっている」という感覚ではなかろうかと思います。

いってみれば、貸し倉庫とかトランクルームとか、お金を払って自分のものを預かってもらっているという感覚です。

そして多くの場合、何らかのサービスを利用して、必要な時に必要な金額を無料で手元に戻すことは可能なので、余計な手数料が取られないように注意深く運用している限り、問題意識はほとんどないのでは、と思います。



私が預貯金をしたがる理由

「何か」は確実にある

「何かあった時のために」というと、何かなんてないかもしれないではないか、という反論があろうかと思いますが、「何か」は、それほど大きな話ではなく、身近にある、というのが私の思うところです。

例えば、家電はたいがい保証期間を過ぎてから壊れるし、賃貸住宅に住んでいれば更新時期にはまとまったお金が必要になるし、持ち家の人は固定資産税や予期せぬ修繕費などが必要になる。

パソコンやスマートフォンも定期的に買い替えるし、自分1人分ならまだしも、家族全員分となると結構な金額になり得ます。

子どもの学費も半年単位の支払いでもまとまった金額が必要になるし、普通の会社員では、月給から生活費を引いた額では、これらのまとまった出費をまかなえない、ということはよくあることではなかろうか…と思います。

そのために私は、月単位・年単位・数年単位と期間を分けたおおざっぱな収支計画を立てて、預貯金に励んでいます。

「何か」の最たるものは、ケガや病気で仕事ができなくなること、あるいは、今している仕事を失うこと、だと思うのですが、これらに対する不安も当然あり、プラスアルファの預貯金に励むことになります。

とはいえ、これらは前者の「何か」に比べれば、発生タイミングを読むことができないので、「ある程度」は備えても、それ以上は備えられない、と割り切っており、このために預貯金に励んでいる、という感覚は私はあまりありません。

ここまで備えてだめであれば、税金を払い続けいているみなさんには申しわけないけれど、生活保護に頼らせてもらおうと考えています。多少のたのしみや将来に向けた投資的出費もしなくては、何のために毎日働いているのかわからなくなってしまいます。

「何か」に即時対応できるだけの稼ぐ力がない

この程度の「何か」なんて、いくらでも働いで稼げるだろうという人もいるのかもしれませんが、私にはその自信がないので、毎月すこしずつ預貯金に励みつつ、どうすればいくらでも稼げるぜ、お金の心配はいらないぜ、と言える人になることができるのかを模索中です。

西野亮廣さんは以前Voicyで、自分は貯金はしない、将来もし無一文になって困っても、周りの人が絶対に助けてくれると信じている、そうではない人は周りの人のことを信じていないの?というような話をされていました。

周りの人を信じていないというよりも、自分が周りの人から絶対に助けたいと思われるような人間である自信がない…ように私は思います。これも周りの人を信じていない、ということになるのだろうか。

「何か」に対応できない大人を身近にみてきた経験

私が自分ことは自分でなんとかしなくては、と強く思う傾向にあるのは、子どもの頃から、身近にお金に困っている大人や、自分の収入に見合わない出費をして人から(親から)お金を借りる大人を複数目にしてきた、ということもひとつの理由ではないかと思っています。

自分自身は、日々のたのしみ等をある程度我慢して、家族にも我慢をさせて、収入全部を使い切らずに将来に備えている分、日ごろから全く備えることをせず、ときには親にお金を払ってもらってほしいものを買ってもらっている姉のようなお金の使い方をする人を身近にみていると、そういう人がお金に困っても自業自得で、私が助ける義務はないのでは…と思っているところがあります。

そんな冷たい自分は人に頼る資格もないように思い、自分のことは自分で、と考えてしまいます。しばらく前に、姉から借金の依頼をされたときは、結局、断ることができず貸してしまったので、もっとよい解決方法はないものか、今は考えています。

そして就職氷河期で大変な思いをした人たちを身近にみてきたこと。仕事が簡単にはみつからない場合もあること。能力が高い人が必ずしも採用面接をパスするわけではないこと。雇われて働くということは運もあるけれど、かといって起業だって簡単なわけではないこと。

このあたりも、もともとの考え方に拍車をかけたように思います。

生涯現役ではいられないという想定

ケガや病気で仕事ができなくなること、あるいは、今している仕事を失うことは、発生タイミングを読むことができない、と先ほど書きましたが、老いて働くことができなくなる可能性、という点においては、親や親戚など自分の周囲の人を観察することで、ある程度、自分が働くことができる限界年齢を想定することは可能かと思います。

私は現時点では、この年齢を仮に70歳と想定し、祖父母が死んだ年齢や、今の親や親の兄弟姉妹たちの年齢から、自分の寿命を想定して、25年程度は働くことができないけれど生きているであろう期間として、どのくらい生活費がかかるのか?という計算から預貯金計画を立てています。

いわば、個人的な年金のための預貯金です。公的年金だけでは足りことはわかっているし、働かずとも収入を生み出す仕組みも現時点でもっていないし、この先もてるとも限らないので、少なくともその間は預貯金に励む必要があると考えています。



お金を生み出すために今あるお金を使うという考え方

そんな「貯金をしたがる人」である私も、「お金を増やしたいのであれば、お金を使ってお金を稼いだほうが増える」という考え方は正しいのだろうなあとは思います。

預貯金自体はお金を増やすことを目的にしているわけではないので、お金を増やしたいという点については、この考え方を肝に銘じて取り組みたいと思います。

お金を使うことを躊躇してしまいがちなので…。



2020年8月吉日





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