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2020年 金銭面以外の振り返り


こんにちは、にわです。
本日は、金銭面以外の1年の振り返りと、来年の目標?について書きたいと思います。

 

息子関連

こども園の年中から年長になりました。
クラス替えがあり、担任の先生も変わりました。
コロナの影響で、年長としての初登園はいつだったか…。

 

息子に対して、この一年、

何ができただろうか?

…と振り返ると、コロナによって在宅勤務時間が増え、一緒にいられる時間は確実に増えました。

 

仕事中に遊んであげることはできないものの、トイレに行くついでにちょっと声をかけたり、息子が寝起きするタイミングで家にいれば、挨拶くらいはできるし、余裕があるときは歯磨きの仕上げをしたり、何かちょっと相手をしたり、といった程度のことは可能でした。

 

夜遅い時間まで勤務の日は、今までだったら息子が寝ついてからの帰宅だったので、起きている間に数日会わない、という場合もありましたが、家で仕事ができると、そういうことはとりあえずないので、息子も私が家で仕事をすることには肯定的でした。 

 

今日は出社だから家にいないよー
息子
やだー

 

とよく言われていたのですが、

 

今日は家で仕事だから遊べないよー
息子
家ならいいよ

といった感じでした。

 

一緒にいた時間が長いせいか、ただの事実なのか…特筆すべき成長といったものは、ぱっと思い浮かびません。

 

よく寝て、よく食べてくれるので、それだけで私としては満足です。そういえば、今年は一度も、夜中に突然泣きながら起きて、暴れるようなことはなかったように思います。

 

縮小されてはいるものの、園の行事や、小学校入学に向けた説明会などのイベントも、仕事の都合をつけて、すべて参加できました。希望した日に休みを取ることができるのは、ひとえに同僚たちと不規則勤務のおかげです。

 

最近では、有給休暇が取りやすい職場は増えていると思いますが、それでも、子ども関連のイベントは、平日にあったり土日にあったりで、すべてを有給休暇だけではまかない切れない、

 

有給休暇20日なんてあっという間に使い切っちゃうよ!

と個人的には感じます。
年間20日程度では、ひと月に2日は休めず、ひと月にイベントが2日あるともうダメです。運動会なんて雨天順延が多く、年少の時に雨天順延を考慮した休暇取得をしなかったので、参加できず、以降、運動会は順延予定日を含めた3日間休暇取得しています。

 

私は土日祝日含めて24時間不規則勤務なので、体調管理は大変だし、決まった曜日が休みというわけではないので、そういう前提の予定は立てられない一方、平日勤務の人の土日祝日にあたる「公休」をいかようにも設定できるので、家族旅行やインフルエンザなどの病気に備えて有給休暇を温存したまま、子どものイベントに公休と有給休暇をバランスよく振り分けることが可能です。

 

『「公休」をいかようにも設定できる』とヒラ社員労働者の私がいうのはおかしな感じですが…正確には勤務シフトを決める上司が、部下の希望を認めてくれる職場である、という意味です。ありがたい。

 

来年は息子も小学生になって、環境も変わるし、友人関係も複雑になってくると思うので、息子の成長をサポートできるように努めたいです。在宅勤務推奨がコロナが収束しても継続されることを願っています。

 

親関連

正月に会ったばかりのひと月後、父親が救急搬送され、死ぬかも…という状況になりました。この時、父親は70歳。

 

いまだ原因はわからないままですが、運よく回復し、今では本人は、

あと10年は生きられるだろう

と言っていますが、

 

典型的な生活習慣病不健康体型なうえに、ヘビースモーカーなので、 

そんな生活習慣で平均寿命を望むのは無理だよ。

と昔からクギを刺しています。

 

70歳での救急搬送を乗り越え、現在71歳になっているので、かつて私が想像していたより、ずっと長生きしています。

 

親が初めて死にかけてわかったこと

  1. 残される側の親を一人にしておくのはなかなか抵抗がある
  2. 「延命治療はしない」という判断は状況による
  3. 不動産の名義変更はやっかいである

 

残される側の親を一人にしておくのはなかなか抵抗がある

父親の生活習慣や、父親の家系の早死に傾向からして、父親には早くに死なれるもの、と子どもの頃から想定していたため、両親揃った老後生活がこんなに長く続いていることは、私には想定外な状況です。#父親に早く死んでほしいわけではないです。

 

母親がもっと若く、しっかりしている状態のうちに、父親を亡くし、母親は一人での老後生活に慣れる、という事態を想定していた私は、今回、父親が救急搬送されたときの母親の対応があまりに心もとなく、高齢となった親の片方を一人でおいておくことに、抵抗を感じざるを得ませんでした。

 

母親は、姉と私が高校生くらいの頃に数年パートで働いていた以外は、ずっと専業主婦で、父親は現在すでに仕事もリタイヤして、両親とも年金生活を送っており、私から見れば、完全に老後を生きる「高齢者」です。#母親のほうが父親よりそこそこ年上なので完全に高齢者

 

しかし、母親には自分たちが「高齢者」であるという自覚はまったくなく、父親の意識が不明な状態でも救急車を呼ぶことをためらって、私や姉に電話で相談してくるような状態でした。

 

ICUで「せん妄」について、看護師から説明を受けた時、せん妄が見られやすい人、という項目の中に、「高齢者」と記載があったのですが、母親は、「どれも当てはまらないわねえ」とつぶやいていて驚きました。

 

70歳ってふつう「高齢者」でしょ

 

と言ったら、「そうなの?」という様子で、自分も30年後、気をつけよう…と思わされました。

 

医者の説明にもうなずくだけで、判断機能がすっかり失われていて、さすがに母親を一人おいて仕事に行くこともできないと思い、職場に連絡を入れて、状況が落ち着くまで母親と共に病院にしばらく残りました。

 

父親が病気がちであったり、そろそろかというような兆候があったのであれば、母親も心の準備ができていたであろうと思いますが、父親は不健康体型なわりに一度も入院したことはなく、つい前日まで元気で、いつもと変わらない様子だったので、突然動けなくなったという状況が、母親をより混乱させたのだと思います。

 

「延命治療はしない」という判断は状況による

救急搬送された病院では対応できないということで、翌朝、転院することになったのですが、転院先に運ばれてすぐ、対応してくれている医者から、

 

Bさん
呼吸の状況が悪くなったら人工呼吸器を装着してもいいですか?したくありませんか?

 

との選択を迫られました。父親はよく、

 

延命治療はしたくない。
延命治療してまで長生きしたくない。

  

と言っていたため、母親は応答に窮し、どうしよう、と私に聞いてきました。えっ、こんな即決を求められるの?という疑問と、ここ迷うところ?という疑問でいっぱいでした…。

 

ずっと病をわずらっていたり、寝たきりで何も好きなことができない状態だったわけでもなく、つい前日までピンピンしており、救急車の中でも意識があるのかないのか(あとから本人に全く覚えていないと聞きましたが)、水分をむさぼるように欲していたので、

 

まだ死んでいいとは本人も思っていないでしょう。

 

元どおり、元気になる見込みがあるなら、できる治療はすることを今は選択すべきでは、と母親に話し、医者にもそのように伝えました。

 

幸い、気管を切開するような状況にはならず、数日後に意識も回復しましたが、意識不鮮明な状態が続き、自力で歩いたり、話したり、食べたりできないままの状態が継続し、回復の見込みが立たない場合には、父親が望む「延命治療はしない」という前提条件を満たすことになるであろうと、今振り返っても、考えます。

 

不動産の名義変更はやっかいである

実家には、財産も借金も残るほどの預貯金もありませんが、今、両親が住んでいるマンションをどうするか?という話題は、過去に何度かのぼったことがありました。母方の祖母がなくなったときに、大した金額ではないのに…相続でもめたことで、いろいろ考えていたのだと思います。

 

私も姉も、すでに中古ではありますがマンションを所有しているし、姉の旦那は一人っ子で、実家には一軒家があり、ふたりともマンションはいらないだろう、と親は考えていました。

 

親の財産は、子どもに残すことを考えず、親が使い切って死ねばいいと私は考えているので、リバースモーゲージを父親に提案してみたことがありますが、条件を細かくみていくと、ややリスクのある選択に思えました。

 

父親自身、 

リバースモーゲージはマンションだと無理そうだからあきらめた

 

と言っていたので、この話はとくに進展なく過ぎてしまっていましたが、父親の救急搬送事件と前後して、いくらかで私が親のマンションを買うことを考えたことがありました。

 

銀行のリバースモーゲージが利用できないのであれば、私が銀行に代わって、親が元気なうちに、いくばくかのまとまった現金を親に提供し、代わりに両親ともが死んだらマンションは私がもらう、というのはどうだろうかと考えました。いわば、いつかは確実に発生する停止条件付売買です。

 

調べてみると、不動産の名義変更はなかなか面倒で、親子間でも無料ではできず、売買という形をとるにしても、金額が相場より低すぎると贈与とみなされて贈与税がかかったり、簡単にはいかないようです。リバースモーゲージ的な売買なのだということは、親子間では認められないのだろうか?

 

あるいは、贈与で処理して、相続時精算課税とすれば、相続が発生するであろう数十年後は、マンションの価値はだいぶ下がっていて税金は発生しない、という可能性も十分あり得ます。

 

母親は長生き家系なので、あと20年は生きる可能性は多分にあり、私はただ親に老後資金を提供しただけで、不動産は活用する前に災害などで失うリスクもありますが、それならそれで、親孝行したと割り切ればよいと考えています。

 

このまま何もしないでいると、おそらく母親より先にマンションの名義人である父親が死に、マンションは母親が相続(姉と私は当然相続放棄)することになります。名義変更などの手続きや諸費用が掛かってきます。

 

さらに数年後、母親も死ぬと、姉と私で相続することになります。どちらかが相続放棄せず、分け合うには、片方が現金と引き換えにマンションを手に入れるか、マンションを売り払って現金を分けあうことになりますが、ここでも処分するためには、事前に母親名義からの変更が必要になるため、再度手間とお金がかかってきます。

 

ちょっとばからしくないですか、これ。であれば両親とも元気なうちに、諸々手続きを一度に完了してしまい、私は親にいくらかの老後資金を提供し、代わりにマンションの名義をもらい、両親とも亡くなったら、二拠点生活するなり、片方のマンションは賃貸収入を得るなりできるのでは、と考えました。

  

今回、父親が救急搬送されたことで、両親の年金は父親が一人で管理しており、母親は、年金の振り込み先口座すら把握していないことが判明。父親が亡くなってからいろいろと対応するのは、なかなかにハードなことに思えました。

 

父親の退院後、コロナ騒ぎでゆっくり話せていないので、来年は親の終活について、もっと会話をしておかなくてはと考えています。#何年も前に終活ノート買ってあげたのに…

 

自分のこと

仕事

昨年の後半に直属上司が変わり、今年は、年初から現在の上司のもとでの仕事でした。前任の上司とはまったく違う考え・タイプの上司で、いまだ考え方が読めないことが多々あります。

 

担当業務もやや変更があり、忙しい一年でした。
今の職場は同僚に恵まれているので、できるだけ長く勤め続けたい。

 

とはいえ、会社なんて、とくに今のコロナの影響下においては、いつどうなるかわからないので、今の職場以外での価値も身につけたい、というのは常に考えています。

 

今年は新しい担当業務で手いっぱいとなってしまったので、来年はほかでも活かせる価値を意識して仕事に取り組みたいです。

 

そして今年もまた、つまらないミスをいくつかしてしまったことが、非常に悔やまれます…。来年こそはノーミスで過ごすぞ。

 

家の片付け

年頭に、家の片づけを誓ったはずでしたが、今年も挫折しました。

 

もうお金で解決しようかな…。

 

と考え中です。我が家には現在掃除機が3つもあるのですが、夫から

 

やっぱりダイソンの掃除機もほしい

 

と4台目の掃除機の購入を所望されています。3台だって多すぎるし、狭い廊下に置かれているのも困っているし、さして掃除熱心なわけもないので、

 

置く場所がないから、買うなら物置部屋を片付けてからね。

 

と条件つきでOKしましたが未だ手つかずです。

 

来年はとにかく、息子の小学校生活に(親も)慣れる、親の終活確認、仕事、部屋の片づけ、が私の課題です。

 

2020年12月吉日

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