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『サーバント・リーダー』ジェームズ・ハンター著を読んで


こんにちは、にわです。
Voicy「海外キャリアの教科書」パーソナリティー龍さんがおすすめされていた本『サーバント・リーダー』を年末に読んでいました。

  

 

サーバント・リーダーシップとは?

Amazonでこの本のタイトルを検索したところ、「サーバント・リーダーシップ入門」とか「サーバントであれ」とか、他にも複数の本が検出されて、有名なコンセプトだったのか…と初めて知りました。

 

「マネジメント」は人に対してすることではない、人は「リード」するものである、との考えから、この本では「マネージャ」ではなく「リーダー」という言葉が使われています。

 

私がこの本から学んだ「サーバント・リーダーシップ」を以下にまとめてみます。

 

人々のニーズを見極め、奉仕し、時には犠牲をも払うこと

リーダーシップとは、共通の利益になると見なされた目標に向かって熱心に働くよう、人々に影響を与える技能である、とここでは定義されます。そしてリーダーシップは、「権力」ではなく「権威」の上に打ち立てられなくてはならない。「権力」によるリーダーシップでは、長い時間に耐え得ることができないから。

 

例えば、子どもが小さいころに力で言うことを聞かせても、じき成長して、力では従えることができなくなるでしょ、というようなことです。

 

「権威」はどうすれば得ることができるのか?
人々のニーズを見極めて、それに応えるために障害を取り除き、人々のために奉仕をし、時には人々のために犠牲を払うことで「権威」は得られる。

 

奉仕と犠牲は愛の上につくられる。ここでいう「愛」とは、他者に対してどう感じるかではなく、どう行動するか。人々の正当なニーズを見極め(欲求ではない)、それに応えることによって、人のために努力する行為を意味する。

 

「人々のニーズを満たすために努力する行為」と言われると、すんなり理解できるように思います。ただ、「ニーズ」と「欲求」の見極めはなかなか難しそう。

 

小学生の頃、「甘いのとやさしいのは違う」と担任の先生に指摘されたことがあるのですが、35年前後経った今でも時折この言葉を思い出します。甘やかす、ということが、ひどく悪いこととして自分の中に刻まれている気がします。

 

中学生だったか高校生だったか、その後、父親から「自分ができるからといって他人もできると思ってはいけない」「人によってがんばれる限度が異なることを理解しなくてはならない」と指摘されたこともよく思い出します。

 

未だに、甘い・やさしい・厳しいの境界が私にはわかりません…。

 

「任務」と「関係」

人を動かすということには、「任務」と「関係」が深くかかわってくるのだそうです。優れたリーダーとは、「関係」を築きながら「任務」を成し遂げる人、と言及されています。

 

健全で活発なビジネスをするためには、
Customer
Employee
Owner
Supplier
と健全な関係を築かなければならない。

 

人々の正当なニーズに応えることで、健全な関係を築くことができる。
正しく健全な環境を提供すれば、人々は自ら成長する選択をするようになる。

 

「関係」について、いくつかの引用や例がありました。

 

関係の銀行口座

スティーブン・コヴィー『7つの習慣』(wikipediaによると1996年出版)
誰かと初めて会ったとき、その関係の口座の収支はゼロだが、関係がよい方向に深まれば口座は潤い、悪い方向に深まれば引き出される。

 

信頼残高、という言葉、よく聞くのはこれが出典なのかな?
なかなかに古い本なのですね。聞いたことはあるけれど、読んだことないです。

 

肯定的な反応と否定的な反応の影響は等分ではない

サイコロジー・トゥデイの記事
誰かとの口座から出金するたびに、取り戻すには4回の入金が必要となる。

 

わかります。
取り戻すのに等倍はありえない。

 

ホーソン効果

ハーバード大学の研究者が、ある工場で労働条件の向上と生産性のあいだに直接的な関係があることを証明しようとした話。

 

実験のひとつとして工場の照明を明るくしたところ生産性は急上昇した。その後、別の研究のために職場環境を戻すことになり、照明をまた暗くしたが、生産性はさらに上がった。つまり、生産性が上がった理由は照明の増減ではなく、現場の人がみんなから注意を払われたから。

 

これ、おもしろいですね。
予測と違う結果のようですが、人ってこういう生き物なのですね…。

 

人の話を聞くこと

人の話を聞かない、途中で遮るということは、

 

1. すでに頭の中で答えを出している
2. 最後まで聞くという時間を惜しんだ=相手や相手の意見の価値を認めていない
3. 相手が言いたいことより自分が言いたいことのほうが重要だと思っている

 
…という無礼なメッセージにほかならない。

 

言語化されてみると、本当に無礼な振る舞いですね…。
気をつけなくては。

 

人々がリーダーに求めるもの

「権威」をもって導くことで、チームのメンバが共通の目標に向かって熱心に働いてくれることが、リーダーの組織への貢献となりますが、人々が権威を感じてくれる人とはどんな人なのか?この本の登場人物たちは以下のように答えます。

 

・正直で信頼できる
・いいお手本
・愛情深い
・献身的
・話をよく聞く
・人に責任を持たせる
・敬意をもって人に接する
・人を励ます
・肯定的で熱心な態度
・人の価値を認める

 

無宗教なので知りませんでしたが、新約聖書の『コリント人への第一の手紙』という書簡の13章に、アガペー(神の愛)について書かれているそうです。これが、上記の権威ある人の特質として人々が一般的に思い浮かべることと似ているのです。

 

・忍耐 =困難な状況で自制すること
・優しさ =注意を払い、評価し、励ますこと
・謙虚 =信頼でき、虚偽や傲慢さがないこと
・敬意 =他者を重要な存在として扱うこと
・無私 =自分より他者のニーズを優先すること
・許し =悪いことをされたときに怒りを捨てること
・正直 =欺かないこと
・献身 =自分が決めた選択を貫くこと
[結果] 自分の欲求や必要を脇にやり、他者のために最高の利益を求めること

 

こうした人格の基礎を身につけ、成熟させた人が、長い時間に耐え得る卓越したリーダーになることができる…ということです。リーダーって大変です。

 

自然な習慣になるまで訓練する

こんな人格を成熟させることができるのか?という疑問が出てきますが、ここで、訓練・習慣、というプロセスが登場します。

 

M.スコット・ペックという精神科医の言葉が引用されます。

 

『人間の本質、それは、パンツをはいてトイレに行くこと。小さな子どもにとってトイレの訓練は不自然なことだが、やがて習慣化すると、その行為は自然となる。どんな訓練にも同じことがいえる。不自然なことが自然な習慣になるまで、私たちは自ら訓練することができる。』

 

新しい習慣や技能を開発するには4つの段階があるそうです。

  

第一段階無意識で未熟行為や習慣を知る前の段階。
第二段階意識していて未熟新しい行為を知ってもまだ技能が身についていない段階。
ぎこちなくて不自然で気後れする。
第三段階意識していて熟練どんどん上達して新しい行為や技能に慣れる段階。
めったに失敗しなくなる。コツを飲み込んでくる。
第四段階無意識で熟練考える必要のない段階。
リーダーが行為を習慣に、自分の本質にできる段階。
よきリーダーになろうとする必要のないリーダー。すでによきリーダーだから。

 

ビジネス本の、当たり前のことをわざわざ言葉にしているところが若いころは苦手で、本屋でぱらっとみては買わず・読まず…という感じでしたが、歳をとって、言語化することの難しさや有用さがわかってきたような気がします。

 

考えは行動になり、行動は習慣になり、習慣は人格になり、人格は運命になる…最後の「運命になる」はちょっとピンときませんでした。

 

「歓び」という報酬

真のリーダーとなるのはとても大変です。

 

ここまで人に奉仕して、時には犠牲をも払って、得られるものは果たして努力に見合ったものなのか?

 

この本では、権威をもって導く訓練に対する報酬のひとつは「歓び」であり、歓びとは、心の中の満足、自分が人生の深遠な不変の原理にほんとうに連携できたと確信すること、人は他者に奉仕することで、生きる歓びを押しつぶす自我という拘束や、自己への没頭から解放される、と書かれています。

 

私にはまだ遠い境地なようですが、7歳の息子でも、自分の欲求より私がよろこぶであろうことを選択することがあり、人のために何かをするという振る舞いは、人間の自然な欲求?本能?なのだろうかと思うことがあります。

   

考えたこと 

リーダー(管理職)を望まない私自身の理由

昨今、管理職になりたがらない人が多いと言われていますが、私も少なくとも今の職場では、現在までのところ管理職になりたいと思ったことはありません。

 

理由はいくつかあります。責任と報酬が見合わない、というのは、多くの人が思っているところと同じかと思います。外資系の管理職は首切り候補、というのはあるあるではないでしょうか…。今の職場の同僚と仕事をするのは好きなので、まだしばらくは働いていたい…。

 

もうひとつの大きな理由は、私がリーダー(管理職)になっても、チーム・メンバに還元できないと感じるためです。チーム・メンバとは良好な関係を築けていると思うので、チームに対する不安はあまりないものの、管理職となると、メンバのニーズを満たすために、他チームや他部門、上司や会社との折衝が必要な場面が少なからずあると思っています。

 

過去、ことごとくチーム・メンバに負荷をかけ、メンバのニーズは後回しにして、外部とまったく折衝してくれない上司に長く悩まされたことがあり、絶対にこういう管理職にはなりたくないという気持ちが自分の中にあります。

  

誰の目から見ても抜きんでているだけの技術力を身につけるか、自分より年長の社員はほぼいないくらいの年齢にならなければ、自分に管理職は無理だと感じます。

 

リーダーはメンバの人生を預かっている

この物語のキーパーソンであるシメオンとジョンが、リーダーについて対照的な感想をもらす部分があります。

 

シメオンは、『リーダーが作り出した環境で部下たちは時間の大半を働いて過ごしている。しかしリーダーがこの責任に対して無頓着で軽率ともいえる態度であることに驚いた。』という一方、

 

ジョンは、『自分が率いる人たちの生活にどれだけ大きな影響を及ぼすかなんて深く考えたことがなかった。』と言います。

 

かつての私の上司は、ジョンのようなタイプの人だったのだと思います。あまりにメンバのことを考えていないアプローチをしていたため、管理職の言動や選択が、いかに我々の生活に影響を与えているか考えてほしいと苦情を申し出たことがあります。まったく聞いてもらえませんでしたが…。

 

この頃、私の所属するチームは何年もの間、人員不足で、申請した有給休暇が却下される、ということが続いていたため、有志のメンバで環境改善のための提案を上司にしたことがありました。同僚の一人が、「チームの課題を後回しにされるということは、自分や自分の家族の人生を後回しにされていると感じる」と発言して、はっとさせられました。

 

私はチームのメンバと自分自身のことしか考えていなかったのですが、この同僚は、お父さんを数年前に亡くしていて、現在は高齢のお母さんが遠方に一人で暮らしているため、有給休暇を使って年に何度か実家に帰省したり、毎日お母さんに電話しているような人で、彼にとっては、有給休暇申請が却下されるということは、帰省ができないということで、それは彼だけでなく、実家で彼の帰宅を待っているお母さんの人生にも影響を及ぼしているのだと、暗い気持ちになりました。

 

この時の我々の提案は、その場で一蹴されました。

 

有給休暇申請は、相当の理由がなければ却下できないことに法律上なっていますが、そういった知識もないうえに、チームのニーズに応えようともしない管理職とはなんなのか?と当時は腹を立てていましたが、この時の管理者はその後会社を辞め、新しい上司になり、人員の問題もおおむね解消され、ここ2‐3年は、チームのメンバのほとんどは有給休暇を100%消化できるようになりました。

 

ヒラ社員にとって、直属上司の影響は絶大です。
リーダーの打診を受けるのであれば、チームのニーズに応えられるだけの能力と覚悟を備えていなくてはならないと強く思います。

 

翻訳本について思うこと

翻訳家の方々には申しわけないのですが…翻訳本が苦手です。

 

好きな作家のひとりである村上春樹さんの翻訳でも、レイモンド・カーヴァー以外はあまり読み進めることができません。レイモンド・カーヴァーだけは、自然に翻訳文を読むことができ、本人の日本語のようにストーリーに集中することができます。

 

今回の本も、翻訳本だったので、読了できるか少々不安でしたが、短めで内容が興味深かったため、ところどころ気になる日本語はあったものの、読み進めることができました。

 

私の理解が正しければ…ですが、この本では、登場人物が名前で書かれていたり、職業で書かれていたりするため、

「教師」って誰?

「教師」=「シメオン」?

…というように、せっかくの集中が途切れることがちょこちょこありました。

 

また「恐るべき二歳児」という表現が後半、何度か登場するのですが、おそらく日本では、「魔の二歳児」と言われることが多いのではないかと思います。「恐るべき…」ときくと、ジャン・コクトーの小説を思い浮べてしまう…。

 

原文を読んでいないし、原文を読んだところで、プロの翻訳家以上に理解できるわけはないのでしょうが、読み手としては、原文に忠実であることより、日本人がひっかかりを覚えずに読むことができる言葉の選択をされているほうが、個人的にはありがたいです。そういうわけにもいかないのかもしれないけれど…。

 

そのようなわけで、翻訳本は苦手で、日本語の本ばかり普段は読んでしまいます。

  

まとめ

リーダーを志すにしろ、しないにしろ、この本に書かれている心の持ちようや、考え方は、心に留めておく価値があると思いました。

 

実生活に適用することはとても難しいとは思いますが、努力してましな人間になりたいです。

 

 

  

2022年1月吉日

 

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