こんにちは、にわです。
先日、音声メディアVoicy『きのうの経済を毎朝5分で』で、DJ Nobbyさんが「agree to disagree」のはなしをされていました。
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意見と意見した人の人格は別
…というタイトルの投稿をしばらく前にしているのですが、同じようなことをDJ Nobbyさんが先日Voicyでお話されていました。
つまり、Aさんの意見には賛成できない=Aさんという人が嫌い、ということではない、とでもいえばよいのか。
Googleで "agree to disagree" を検索すると、「Let's agree to disagree.」のように、会議のおわりに意見がまとまらず「違う意見ってことでおわりにしようぜ。」というようなニュアンスの例文が複数検出されるのですが、そういう使い方もあるのですかね?
英語学習者としては、ネイティブのニュアンスや使い方はよくわかりませんが、Nobbyさんは英語も達者な方なようで、「意見と意見した人の人格は別」という文脈で、「agree to disagree」を使われていたので、そういう風にも使われるのだろうと思います。
「人格」とは何か?
前回の投稿にも記載したように、「意見と意見した人の人格は別」「意見の相違に同意する」という考え方は、人生の早いタイミングで知っておきたいことの一つであると思う反面、では「人格」とは何なのか?という疑問がいつも若干、私の中で残ります。
「人格」は、学術的立場によって、意味合いが変わるようなのですが、私自身を含め、普通の人が一般に「人格」という言葉を使う時、それは「人間性」とか「性格/特性」とか、言ったところを意味しているのではないかと思います。
そうなると、「意見」に「人格」は反映されていないのか?と疑問になってきます。どうしたらこの疑問を払拭できるのだろう…と前回の投稿からずっと考えていました。
グミチョコが大好きなお前とは付き合えねえ…とはならない
「意見」の種類・内容にもよるとは思うのですが、最近思いついたひとつの解をここに記載したいと思います。
グミチョコというおやつが大好きな同僚が職場にいます。自分では絶対に買わない種類のおやつなのですが、たまに夫が息子のおやつに買ってくることがあり、息子からもらって食べたことがあります。パッケージの見た目からの想像どおり、私には今ひとつおいしさが理解できないおやつでした。グミとチョコレートはそれぞれ別々にたべたほうがおいしいと思う…。
ある時、職場で、同僚のひとりがこのグミチョコの大ファンであることが発覚し、「グミチョコ好きなんて理解できない!」とか「にわさんにはいつもお世話になっているから今度お礼にグミチョコ差し上げますね!」「いりませんよ!!」というようなやり取りをしていました。
グミチョコは完全にネタで、グミチョコが好きだろうが嫌いだろうが、この同僚と私の人間関係にはまったく影響しない。「グミチョコが大好きなお前とは付き合えねえ!!」とは、普通ならない。
「意見と意見した人の人格は別」「意見の相違に同意する」というのは、こういうことなのだと思います。しかし、「意見」の種類・内容によっては、グミチョコと一緒にはできないかもしれないなあとも思います。それでも、この考え方は頭の片隅にいつもとどめておきたいです。
2020年7月吉日