こんにちは、にわです。
Twitterを眺めていると、ときおり、なるほどなあと思うようなつぶやきを目にすることがあります。
目次
受賞することについての落合陽一さんの考え方
何きっかけで気になり始めたのか思い出せないのですが、しばらく前から落合陽一さんのツイートをフォローしています。
頻度や内容からして、ほとんど自動のリツイートのようで、過去noteの投稿などに関するツイートなども頻繁に私のタイムラインに載ってきます。たまに気になる過去の投稿を読んだり、さらに投稿の中でリンクされているYouTube動画をみたりしています。
その中で、昔は賞をもらってうれしかったが、最近は誰にその賞を受賞させたらその業界が伸びるのか、ということではないかと考えるようになった、というような考えが示されているものがありました。
私自身は、賞をよくいただくような人生を送っていないため…この時はただ「なるほどなあ」「そういうものなのかなあ」「そういう考え方もあるんだなあ」と思っただけでしたが、後日、数か月ほど経過したころだったか。「こういうことなのかも」と思う出来事がありました。
職場で昇格するための条件とは
近年は、日本でも、年功序列というシステムはなくなりつつあるようですが、私が現在勤めている職場も、外資系ということもあり、完全に年功序列システムではありません。
今の職場は何社目かなので、ここは職場によって差があるように感じているのですが、昇格システム自体も、今の職場では明確ではありません。部署Aでは数年で昇格して役職者がたくさんいるのに、部署Bでは10年以上1等級も昇格しないスタッフがごろごろしていたりします。
私の所属は後者のほうで、今の部署にいる限り昇格はしないとあきらめている同僚の声をよく耳にします。それが原因で(少なくとも原因のひとつで)やめていった人もたくさんいます。
もちろん、達成すべき業務上の目標や、個人のキャリア開発目標などといったものは、定期的に計画され、目標に対する達成を確認し、翌年の年俸を決定付けるための考課面談のようなことは行われています。
しかし、目標を達成できなかった場合、評価は下げられるものの、目標を達成した場合には、必ずしも高評価が得られるわけでも昇格するわけでもありません。
昇格試験のようなものもなければ、昇格に必要な資格や経験年数といようなルールもありません。少なくとも一般社員の私はそのような情報は目にしたことはなく、人事部門や上司に質問しても納得のいくような回答は得られたことがありません。
考課面談では毎年それなりの評価であるにも関わらず、昇格しないまま何年も経過し、その等級でもらえる給料の上限が近づいてくると、古参社員の中には、だんだん?という気持ちが膨らんできます。
一方で、ほかの部署では「この人が昇格したの?」というような微妙な仕事っぷりの人が昇格していたり、2-3年前に転職してきたばかりの人が昇格したりしたという情報が入ってくると、いったい自分たちは何を成し遂げたら昇格・昇給するのか?と疑問になってきます。
誰を昇格させたら組織が伸びるのか
そんな職場に勤めているため、昇格問題は、ときおり、同僚たちの間でちょっとした話題となります。
まだコロナ自粛がはじまる前、同僚のひとりと職場で雑談をしているときに、自分たちのチームにはこんなに優れた人がいるのに、なぜ誰一人昇格しないのか、という話になりました。
「自分だったらAさんとBさん以外は、今すぐもう1等級昇格してもまったく問題ないと思っている」と話すと、同僚は「もう1等級くらい全員昇格ですよ」「あの部署の〇〇さんですら自分たちより2等級上なんですよ」と言われました。
「全員はいくら何でも無理でしょう。枠の問題もあるし。」と言うと、この同僚も、Aさんについては仕事ぶりからして、昇格させられなくても仕方がないかも…と納得はしていましたが、Bさんについては仕事の出来から考えると、昇格対象からはずす理由がないと思ったようでした。
そもそも昇格の枠は限られており、部署内のバランスから考えても、自分たちのチームだけ全員が昇格するということはあり得ず、限られた枠の中で自分だったら誰を選択するか?という問題として私は考えていたのですが、それでも自分はなぜBさんを昇格対象からはずしたのか?について、同僚との会話のあとも、ずっと考えていました。
その時、落合陽一さんの「誰に賞をあげたらその業界が伸びるのか」という言葉をふと思い出し、「ああ、自分も同じように考えたのかもしれない。」と思いました。
ソフトスキルの重要性
Bさんは、チームでは社歴も短く、歳も若いものの、今のチームで求められている仕事に関しては中堅といっていい結果を出してはいる。理解が不足している部分も散見されるものの、処理能力は高く、まだまだ伸びしろも感じられる。
Bさんは、求人票の募集要項に記載されているような必要な要件、ハードスキル、と言われるようなものはおおむね満たしているものの、ソフトスキルと言われる部分が弱いように一緒に仕事をしていて私には感じらます。
指示されたことは最低ラインでこなす一方で、プラスアルファの配慮はあまりなく、雑談では疑問や意見をズバズバ言うものの、判断や責任の所在の明確化が必要な公の場面では、自分に矢が降りかかってこないような振る舞いをする。
これは本来求めてはいけないことなのかなあ…とは思うものの、EさんやFさんやGさんは普段から自分の力量の80-120%で働いているように見え、評価対象にならないような仕事だろうが、必要だと判断すれば自分のことは後回しにして対応しているものの、Bさんは持っている力の50%程度の力しか発揮せずに、それ以上の仕事は無理です、と断っているように見える。できるのにやらない。
端からみていてもったいないなあと思うとともに、みんなが困っている局面でも、その特徴が発揮されると、ちょっとはみんなのためにがんばろうとはおもわないのだろうか…と不満というか不信というか、100%の信頼感をもって一緒に働くことができないと感じる場面がしばしばあるのです。
もちろん、EさんやFさんやGさんにもそれぞれ短所というか、もっとこうだったらと思う部分はあります。それは私自身にももちろんあると思う。同僚だけでなく、上司やもっと上のポジションの人たちにも思うところはあり、完璧な人なんてそうそういないと思います。
誰にでも長所と短所はあり、個人商店ならともかく、一人の力では業務を継続できない程度の規模の組織で働く場合、個人の能力差でできることには大した違いはなく、わずかな能力差で昇格させるべき人を決めるよりも、ソフトスキルと呼ばれる能力が高い人を引っ張り上げたほうが組織はうまくいくと個人的には考えています。
おそらく私は、Bさんを昇格させても今と仕事ぶりは変わらないと思っており、EさんやFさんやGさんは、昇格したら昇格していない人よりも重い責任を負う覚悟がすでに備わっており、よりチームや組織のための仕事をしてくれると感じているのだと思います。
Bさん的働きをする人たちからすると、今は、EさんやFさんやGさんのような働き方は社畜だと嘲笑されるのかもしれませんが、私はそれでも組織で働くことを選択している以上は、BさんよりはEさんやFさんやGさん寄りです。
EさんやFさんやGさんが困っていたら、普段助けてもらっている分、多少無理をしてでもお返ししたいという気持ちが自然と湧いてくるけれど、Bさんが困っていても無理をしてまで助けようとは思わないし、自分もBさんのようになりたいとはどうしても思えない。
誰かを昇格させるような権限を持たないヒラ社員の私がこんなことを考えても仕方ないのですが、本日は以上です。
2020年8月吉日