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『団塊ジュニアの加齢と日本経済低迷の出口』を聞いて

 

こんにちは、にわです。
先日、音声配信プラットフォームVoicyにて、木下斉さんとちきりんさんのライブ音声配信(2022/4/1#539 木下斉さんとの雑談 )がありました。

 

その中で、日本経済低迷の出口が見え始めるのは2050年、というようなお話がありました。日本の人口ボリューム・ゾーンである団塊ジュニアが片付き始める入口に入った頃、ということです。

 

ほぼ団塊ジュニア世代である私は少々複雑な気持ちです…。団塊ジュニアに限らず、今、生きているバブル未経験世代の多くは、この先も好景気を経験しないまま人生をおえる公算が高いようで残念です。

 

木下斉さんとちきりんさんのライブ音声配信後、木下斉さんのVoicyチャンネルで、『団塊ジュニアの加齢と日本経済低迷の出口』という配信を聴き、自分および自分の周辺との実感はすこし異なるように感じたので、いち当事者の思うところを投稿したいと思います。

  

団塊ジュニアは内需の大勢を占めているのか?

現在、団塊ジュニアは子育て世代であり、消費が活発なので、子どもの手が離れ、自分たちの老後の生活に突入するころに、内需がしぼむ、というような話があったのですが、団塊ジュニアは未婚率が高く、晩婚により子なし世帯も少なくなく、子育て世代のボリューム・ゾーンという実感が私にはありません。

 

さらに経済的な理由により親と同居している、という、消費が極端にすくない層も一定数存在する印象です。

 

学生時代の仲間たちをみても、職場の同年代の同僚たちをみても、未婚もしくは結婚はしているけれど晩婚で子どもはいない、という割合は5割を超えています。自分の周囲の平均が社会の平均とほぼ同じ、という感覚はみなさんもあるのではないかと思うのですが、ざっとインターネットで検索してみた限り、団塊ジュニアの未婚率や子なし率は、自分の実感と似たような数字のようでした。(ざっくり検索なので真偽不明です…)

  

私は1976年1月生まれなので、同級生の多くは1975年生まれで、就職超氷河期世代と言われる世代です。正社員になれないことによる派遣社員やフリーター、引きこもり、親と同居するパラサイト…といった言葉を思いだします。私自身、20代はじめはあまりよい記憶がありません。

 

木下斉さんは地方再生/創生のプロの方だそうなので、木下さんのお話は私の実感やざっくり検索とは違い、数字的根拠がある事実なのだろうと思います。そうだとすると、内需に影響を与えるほど自分たちの世代は消費できる力があったのか!とむしろ明るい気持ちになります。実感はまるでないですが…(しつこくてすみません。)

 

『2020年問題』は起きなかった?

Voicyの配信では、団塊ジュニアの子育てがひと段落ついて、旺盛だった消費がなくなり、内需がしぼんでから団塊ジュニアが退場するまでが、一番深い谷となり、団塊ジュニアが後期高齢者となって役職から退き、死ぬ人も増えて、ようやく日本経済低迷の出口が見えてくる…というお話だったかと思います。

 

私の実感としては、団塊ジュニア&就職超氷河期世代は、役職/要職に就いている人はすごく少なく、団塊世代のリタイアに比べると、社会的インパクトは極めて小さいものであろうと想像します。

 

厚生労働省の賃金構造基本統計調査等によると、会社員の賃金のピークは50-54歳で、団塊ジュニアがこの年代になる2020年頃が、企業の人件費の負担増大ピークとなり、「2020年問題」に直面することになる、という三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部による、2014年3月に書かれたレポートをみました。

 

が、2022年現在、そこまで大きな問題になっていない(ように私には見える)のは、団塊ジュニアは役職者がすくなく、過去の実績から想定したほど世代全体として給料が増えていないからでは…と想像します。

 

一部の大企業で、早期定年退職がときおり話題になったりはしていますが、早期定年退職は、バブル崩壊後、ちょこちょこ見聞きしており、ここ数年でどうこうという印象はありません。

 

団塊ジュニアが後期高齢者に属する2050年

2050年には、団塊ジュニア世代が後期高齢者になるそうです。亡くなる人も多少増えてくるとは思いますが、日本人の寿命は今よりさらに伸びて、年金や医療費をまだ2,30年消費する層が相当残っているのではないか…と当事者の私も30年後を考えると、やや暗い気持ちになります。

 

我が家のような一般庶民が日本経済低迷の出口を感じることができるのは、現在小2の息子が還暦を迎える頃ではなかろうか…。

 

団塊ジュニア世代が世の中からいなくなり、長寿・少子前提の社会システムに切り替わって、資産形成の教育を受けた世代が職場のマジョリティーになる頃、ようやくまともになるのでは…。

 

日本の江戸時代の人口は2千万人ほどだったと何かで読んだことがありますが、団塊ジュニアの少子化対策に失敗した日本は、もうコンパクト国家の道を突き進めばよいのではないかと個人的には思います。

 

しかし世の中にはかしこい人たちがたくさんいるのに、なぜこんなことになってしまうのですかね??

 

若者が高齢者を支えるシステムに対する疑問

若い頃は子どもをほしいと思ったことはなく、自分が結婚して子どもを産むことになるとは思ってもいなかったうえ、長生き家系のため、子どもはどんどん増え、人はそれなりの年齢でどんどん死んでいくことが前提の、「若者が高齢者を支える」というシステムが若い頃から疑問でしたが、調べてみると、先進国はほぼ「若者が高齢者を支える」賦課方式のようです。

 

どうなるかわからない人口構成のバランスに依存する現在のシステムが、なぜ支持されているのか疑問でならないです。 

   

我が家は専業主夫世帯なので、私ひとりの収入で、息子と夫と私の3人の生計をまかなっていますが、親世代の1人くらいはまだ面倒を見ることができる余地はあると思うので、「若者が高齢者を支える」システムではなく、自分で自分の老後や幼少期を支える、というのは、まあまあ現実的ではないかと思っています。

 

つまり、私自身が生まれてから社会に出る22歳までは、22歳から70歳まで労働予定の自分に(経済的に)育ててもらい、70歳から100歳までの老後も、22歳から70歳までの自分に(経済的に)面倒を見てもらう、仕事をしている期間が50年、仕事ができない期間が50年、自分で自分を支えることは十分可能に思えます。

 

もちろん健康上の問題で、仕事をしている期間=仕事ができない期間、とならない人も一定数存在するのでしょうが、ひとりひとりが自分プラス0.5-1.0人を支える設計とすれば、社会全体として何とかまわるように思います。

 

厚生労働省のサイトでは、積立方式のデメリットが語られているのですが、預貯金での積立前提で書かれているのも疑問です。

 

1949年生まれ団塊ど真ん中の父親は公務員だったので、勤め始めから年金保険料を払っていたようですが、1942年生まれの母親は、年金保険料支払は義務ではなかった、と昔、話しているのを聞いたことがあるので、日本の年金制度はまだ新しいものであるという印象が私にはあります。

 

団塊ジュニアの貧困状況/割合がいまひとつわからないのですが、団塊ジュニアの年金受給開始だけでなく、雇用に恵まれず年金保険料を払えなかった層の生活保護受給割合も、2040年を迎える前に問題になってくるのではないかと思います。

 

我々が年金保険料を払い始めた20歳の頃には、払ったところで将来年金を受給できないというような噂もしばしば流れていたし、保険料を納めていない/納められなかった層はそこそこ存在するのでは…。

 

20年後の問題を自分事として考えられる世代の政治家に一票を投じたいです。

  

団塊ジュニア&就職超氷河期世代の未来の希望は…

私自身は20歳から年金保険料を納めてきていますが、20年後の社会を考えると、今まで納めてきた年金保険料がチャラになってもいいので、健康で文化的な最低限度の生活をみんなが等しく送ることができるシステムを再構築してほしいです。

 

社会保険だけの話ではなく、格差が広がっているというのであれば、税金をもっと富裕層から徴収すればよいと思います。年収1千万円の会社員とか中途半端な層からではなく、何十億・何百億円以上の資産をもつ層にお願いすればいいのに。年収1千万円なんて、富裕層でも何でもないですよね…実際。

 

貧困で希望のない社会では治安が悪くなり、結果として、貧困ではない層の人たちにも影響を及ぼすことになるので、富の再分配は真剣に考えてほしいです。

 

私自身は現在仕事があり、生活に困窮している状況ではないものの、そうではない同世代の状況に、いつ自分自身が陥っても不思議ではないと、容易に、リアルに想像ができます。

  

現在のシルバー民主主義は、若者が選挙に行かないからではなく、若者がみんな選挙に行っても太刀打ちできないくらい高齢者の人数が多く、高齢者向けの政策がとられている、と何かで読んだのですが、そうであれば、じき選挙権の大勢を占めることになる団塊ジュニア優遇政策時代がやってくるのだろうか?という点が少々気になっています。

 

団塊ジュニア優遇政策でなくてよいので、まともな政治が行われる世の中に、自分たちの世代の投票行動で変えていけたらいいなーと思います。

 

が、社会を自分たちの手で変えていった実感を持っている団塊世代と異なり、団塊ジュニアは、自分ひとりがどうしようが、世の中は結局変わらない、と考える人が多そうなので、せっかく人数が多いのに、その利をうまく活用できないのでは…という気がします。不満を述べているだけでは何も変わらないですよね、それは。

 

自分たちの世代が死ぬまで日本経済は苦しいと考えているのに、悲観的楽観主義者な私は、全世界インデックスの投資信託も「日本を含む」商品を買ってしまいます。

 

自分がこの先も生きていく予定の国や人々の力を信じてしまう。片や、職場の投資の先輩は8割以上の資産はドルだそうです…。資産は米国ドルで保有、という人、多い気がしています…。

 

自分は現実的なタイプだと思っていたのですが、こうして考えると、そうでもないな…と気づきました。 

     

2022年4月吉日

 

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