こんにちは、にわです。
3歳から首都圏で生活しています。
これからも、老後も、東京もしくは東京近郊で暮らしていくであろうと考えています。
私が憧れる小さな暮らし
そんな私も、できることなら
- たべものは自給自足したい
- きれいな水資源が豊かな所で暮らしたい
- お金があまり必要ではない暮らしがしたい
…と考えることはあります。
食料を自給自足できる人は、人として最強だと思っています。
へんな例えとなってしまいますが、すごくお腹がへっていて、食べものも店も移動手段も何もない場所で、おにぎりとお金のどちらかを選べと言われたら、間違いなくおにぎりを選びます。
日々の仕事も、おいしいご飯を食べるため、家族を飢えさせないため、が第一目的なので、最近、音声配信プラットフォームVoicyで聴いた、以下のような配信は、シンパシー(…というよりは憧れ?)を感じます。
『コンテナ暮らしのライフハッカー』@海外キャリアの教科書
固定費ほぼ0円、同じことを目指しています。コンテナハウス、トレーラーハウス、なんだかいいですよね。アメリカのドラマでよく見かけます。住み心地はどうなのでしょうか。キャンピングカー、欲しいです🚐
#392 コンテナ暮らしのライフハッカー @Voicyglobal https://t.co/xRn3ULGQcF #Voicy
— しんしん(寝寝) | Voicy Lover | マットレス担当大臣@海外キャリアの教科書 (@MinisterofBeds) May 21, 2022
『超長期的は狩猟のキャリアが一番。』@〜移住猟師のひとりごと〜
大型哺乳類の捕獲。その言葉に痺れました。
超長期的は狩猟のキャリアが一番。 @life1129727 https://t.co/pBiULlrzor #Voicy
— 龍@Voicy海外キャリアの教科書 (@Voicyglobal) April 20, 2022
自分で選択できないことのストレス
自給自足の何に憧れるのか?というと、自然による影響以外の選択権が自分にあるように思われるところです。
経験がないので、実際のところはわかりませんが、未経験者からはそうみえます。
若い頃、就職にそれなりに苦労し、書類審査やペーパーテストにパスしても、採用面接にとおらなければ仕事に就けない、他者から選ばれなければ仕事もできない、という状況に、うつうつとしたものです。
今では私もよいトシなので、当時の自分に足りなかったことも多少はわかるように思いますが、それでもよく知りもしない人から「あなたに紹介できる仕事はない」等々言われるような、自分側に選択権がない生き方はいやだという思いは、ずっとどこかに持ち続けているように思います。
首都圏で生きていくと決めている理由
しかし憧れは所詮、憧れです…。
自分には首都圏暮らしが向いているし、満足しているのだと認識しています。
自給自足どころか地方移住も考えられない理由は、具体的なスキル不足です(以下に列挙)。
「スキル」は技能だから訓練によって獲得できるとよく言われますが、その努力をする気力がないということは、現状に満足しているということなのだろうと考えています。
車の運転ができない
免許は持っています。
若い頃、すこし運転したこともあります。
そして記憶にあるだけで4回危険な目にあいました。
人身事故など致命的なトラブルにはなっていないものの、壊滅的に運転能力がないことを学び、以降、車の運転はやめました。移動は、公共の交通機関かタクシーか徒歩です。
首都圏は道は整備されていますが、交通量が多く、地方は交通量は多くないものの、道が細かったり等、別の能力が必要で、どちらにしても私には厳しいです。事故を起こしてしまった時の精神的・金銭的負担を考えたら、車を運転しない生活は、私にはとても快適です。
人命にかかわるうえ、今では一家の大黒柱なので、私のミスによって息子の今後の人生(学費が払えない等…)にも影響してしまうので、車はもう一生運転することはないと思います。
虫が苦手
虫が苦手で農業に携われている人はいるものでしょうか…。
夫は無農薬や添加物がないものを選ぶ人ですが、青虫がついた無農薬キャベツと、(日本で許容されているレベルで)農薬まみれだけど虫なしキャベツが売られていたら、私は迷いなく農薬キャベツと書かれていても農薬キャベツを選ぶ人間です。
子どもの頃、秋になると母親に栗の皮むきを手伝わされていましたが、栗から出てくる白い虫がいまだに忘れられません…。
虫が食べるほど甘い栗なのだ
農薬を使っていないから虫がつくのだ
…と言われようが、私は農薬を使っていいから虫がいない方がいい!と昔から主張するような、虫対応能力ゼロな人間です。
近づいてこない戸外にいる虫は問題ないのですが、家の中など、いるはずがないと思っているところで虫を見かけると、そしてこちらに向かってこられると、心臓が止まりそうです…。
昨年、息子が小1の夏休みに持ち帰ってきた朝顔にびっしりついていた青虫たちを見つけたときは、卒倒しそうでした。今年も学校からなにか植物を持ち帰ってくるのだろうか…心配でならない…。
食べものを育てるのは難しい
虫が苦手なことも致命的だと思いますが、食べものを育てるのは難しい、という点もひとつの難所です。
小学生の頃、夏休みの宿題として、好物のトウモロコシを育てようとしたことがありましたが、育ちませんでした。
当時、今から40年ほど前に住んでいた官舎には、共用の畑のようなエリアがあり、苺や人参などちょっとした食べものが、勝手に(…と当時は思っていた)生息していたので、土に種を植えて、水をやりさえすれば、すべからく農作物は育つと思っていたのですが、そうではないということを学びました。
以降、虫が苦手なことと相まって、自分で食べものを育てようという機運は、私の中で急速にしぼんでいきました。
物のつくりの仕組みの理解が苦手
できない苦手だとネガティブな発言ばかりが続いてしまいますが…ネジを締めるのは右か左か?これ、即答できない人、ネジ穴をつぶしてしまったことがある・今でもつぶす可能性を感じるタイプの人は、私と同じ人種でしょう。
こういった物理作業、自給自足生活には重要なスキルのひとつだと思うのですが、これもまた私に欠如している能力のひとつです。
両親とも、同様に、DIY的なことはまったくやらない、苦手な人たちだったので、そういった生育環境も影響しているのではないかと思います。
長らくIT部門で働いているので、機器をラックにマウントしたり、配線をいじったり、機器内のパーツを交換したりといった物理作業もなくはないです。
自分は力づくでパーツを外そうとして壊しかねないリスクを内包していることを理解しているので…できる限り器用な同僚にお願いし、同僚が苦手な作業や折衝ごとを代わりに引き受ける等やりくりしています。
夫からよく「構造を理解しなさい」と注意を受けるのですが、そういう能力が平均以下なのだろうと思います…。
極端な気候への対処を知らない
首都圏では、大雪も、家が壊れるほどの台風も、ほぼ発生しないので、ニュースで目にする豪雪地帯の光景や、沖縄の台風の光景を見るたびに、自分はこういう地域では暮らせない…と思います。
長らくその地で生きてきた人たちには、経験から学んできた知恵があり、その土地独自の常識的対処があるにちがいないと思うのですが、自分にはそういったものが備わっていないという自覚があります。
大人になってからそのような地方へ移住する人たちは、おそらくコミュニケーション能力も高く、地元の知恵をどんどん吸収していくのだろうと想像しますが、人間関係構築に時間がかかるタイプの自分には、これもまた高いハードルのひとつに感じます。
こうして挙げてみると、人としてのスキルが欠如していても生きていける首都圏生活は、じつに私の性質にマッチしています。
お金と信用/信頼
キングコング西野さんは、常々、これからはコミュニティの時代だ、という話をされています。お金がないと心配な人は、周囲の人を信じていないからだ、というような話もされていたと思います。
これは私には耳が痛い、難しい話です。
コミュニティとのちょうどよい関りの深度というものが、私にはまだいまひとつ理解できないでいます。今は息子が一番大切なので、それ以外の何かに100%コミットできることはないと思います。
西野さんは、自身にお金がなくなっても、今までかかわってきたいろいろな人が助けてくれて、食べていくくらいは困らない自信がある、というようなお話をされていたことがあるように記憶していますが、これもまた、多くの人にとってはなかなか難しいことのように思います。
単発、あるいはごく短い間というのであればともかく、おわりがみえないとなると、話は変わってきます。
バブルの頃、不動産業界で働いていた親戚が、バブルがはじけて職を失い、多額の借金を負って、父親に借金をお願いする姿を目にしたり、旦那さんと離婚して困窮した親戚を援助する親の姿を目にしたり、結婚生活でトラブルが発生した親戚と、しばらくうちで一緒に生活することになったり、といった経験があります。
元不動産業の親戚は何度も借金にきて、最終的に父親を憤慨させ、消息不明となりました。一時期一緒に暮らしていた親戚(私にとっての従姉とその子ども)も、数か月か数年か、覚えていませんが、結構な期間、両親は面倒をみていました。
一方で、お金がないからその習い事はさせられない、とか、私立には進学しないでくれ、等、言われてきた身としては、予測し得るリスクに備えなかった親戚を助けるお金はあるのに、子どもにかけるお金はないのか?他人の人生に影響を与えるような借金をするような大人には絶対になるまい、と子ども心に思いました。
ずいぶん自分勝手なことを言っているものだと思いますが…今、実姉や夫の姉兄弟が同じようにやってきても、私は息子を優先したい…そう思ってはいるものの、数年前、姉夫婦からの借金の依頼を断ることができませんでした。
返ってくる可能性が高いと考えた、ということもあるものの、いざ困っている人を目の前にして、信条とは裏腹な行動に出てしまった自分にとまどいました。
自分が困窮する可能性もよく考えますが、そのときは、生活保護なり行政に(これまで払ってきた税金や社会保険料、その他多くのみなさんが支払っている税金や社会保険料に広く浅く)頼る、と決めています。
お金がないという状況について、私はおそらく経験から、平均よりネガティブな印象をもっているのだろうと思います。
毎日お金のことを考えて暮らすのはいやなので、勉強して、仕事をして、生きていくのに困らないだけのお金を稼がなくてはと若い頃は思っていましたが、自給自足やDIYのスキルがあって、お金はすこし稼ぐだけで問題ない、という暮らしのほうが、理想的なキャリアのように思います。
しかしこの投稿を書いてみて、改めて自分の人としてのスキルのなさにがっかりです。そしてそんな人間でも暮らしていける首都圏が私にはありがたいです。
2022年5月吉日