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人生のある時期に出会った本や作家からはなかなか離れることができない

こんにちは、にわです。

しばらく前にTwitterで、タイトルのようなことをツイートされている方をみかけました。



ある時期に心を揺さぶられた本や作家への思い

すこし時間が経ってしまったので、正確な文書を覚えていないのですが、目にしたときに、「あー、わかるなあ」ととても共感したツイートがありました。

若い頃、10年ほど、すごく熱心に読んでいた作家がいるのですが、ここ数年は、新刊を手に取っても、昔ほど心を揺さぶられることがなくなってしまいました。

でも、新刊が出る、と聞くと、買わないわけにはいかない自分がいる。

そして読み終えると、やはり以前ほど心を揺さぶられることがなかった自分に気づき、すこしばかりがっかりする…ということを数年繰り返しています。

自分が変わったからなのか、相手が変わったからなのか、どちらもなのか、自分は変わったのに相手は変わっていないからなのか、その逆なのか。

このように感じるのは自分だけなのかと、心変わりしてしまったような自分にすこし罪悪感を感じていたのですが、同じような感覚を持っている人がいることを知り、こういうことはあり得るのだ、とすこしほっとしました。



本や作家との出会い

18、9歳頃、大学を中退して暇をもてあましていた私は、お金もなく、家にある本を適当に手に取っていました。

ある日、手に取った本は、これまで読んできた本とは全然ちがっていて、夢中になって読了した記憶があります。私の両親が読むような本ではなさそうなのに、なぜこんな本がうちにあるのか?と疑問に思い、両親に聞いてみたところ、「ベストセラーだったから買ってみたけど、何ページか読んでつまらなかったからそれきり読んでいない。」との回答。

やっぱり。絶対、読了していないと思った…。でもたまたま家にあったおかげで、私はこの本と出会うことができて運がいいぞ、と思いました。

私は音楽でもシングルよりアルバム派で、作品単体が気に入っても購買行動に移ることはなく、その製作者がつくる作品全体が気に入って初めて購買行動に移る傾向があるように思います。そしてひとたび気に入ると、作家買いしてしまう。

この本がたまたまおもしろかったのか、私はさっそく古本屋に行って、同じ作家の別の小説を何冊か買ってみました。

おもしろい!!!!

その後も、古本屋に通いつめ、あるだけその作家の未読の小説やらエッセイやらを買い集め、買ったそばから読了する、という生活がしばらく続きました。

もう近所の古本屋には、その作家の未読の本が見つけられなくなって、なけなしのお金でふつうの書店で定価で買うようになり、もう未読の本がない、という状態になってから、読了した本を再読する、という生活をその後数年…。

世の中にはこれだけ本があるのだから、同じようにもっとおもしろい作家がいるのでは…と別の作家の開拓を試みて立ち読みしたり、古本屋で100円になった本を買ったりしてみたところ、その作家ほどではないものの、ほかにも作家買いするような作家との出会いがいくつかありました。

もともと読書はそこそこ好きではあったのですが、今まで自分が読んでいた本はなんだったのか?と感じるほど、この作家との出会いは私にとって大きなものでした。

ビジネス書や how to 本のように、具体的な答えが書かれているわけではないのに、読み終えると、人生のこたえというか、ヒントというか、自分にとって大切な何かを得られたような気持ちになりました。



静かに心は離れてゆくのか

当時、自分の中にたしかにあったあの静かな興奮は何だったのか。

今は、読書にのめり込んだ10年ほどの時期の前に戻った程度の熱量しか、自分の中にはないようです。

昔観た、ジュリエット・ビノシュの「ダメージ」という映画のラストを時折思い出します。

「ダメージ」は、激しい不倫の愛に溺れる男女を描いた作品なのですが、ラストシーンが秀逸で、数十年経った今でも忘れられない。

映画の終盤、男はすべてを失い、異国でひとり新しい生活を始めることになるのですが、ある日偶然、女を見かけるのです。だけど女は男に気づかず、子どもを抱いており、傍らにはかつての恋人(おそらく今は夫であろう)男と一緒にいる。

その時に男は「ごく普通の女だった」という、感想を抱くのです。偶然、女をみかけた驚きとともに湧き上がってきた感情は、熱情でも何でもなく、普通の女じゃないか、なぜあれほどのめり込んだのか、という心の揺さぶりなどまるでないものなのです。

「そして静かに心は離れてゆく」というのはこういうことなのだろうかと、時折、考えることがあります。

2020年7月吉日





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