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意見と意見した人の人格は別物

こんにちは、にわです。

最近、直属上司と意見が合わないことが多く…在宅勤務や不規則勤務で直接会話できないためにメールでやり取りしていることも相まって、ちょっとしたメールの表現に落ち込んでしまい、表題のことばを久しぶりに思い出したので記載したいと思います。

人を評価するということ

私が表題の言葉に出会ったのは、ずいぶん歳をとってしまってからで、当時、三十代後半だったかと思います。社会に出てからずっと平社員なので、他人の生活や人生に影響を与えるような評価をする立場に立ったことがなく、あまり真剣に考えたことはありませんでした。

しかし、360度評価制度、という評価制度が扱われていた時期に、人事部門から提供された資料を読んで、目から鱗が落ちました。うろ覚えですが、次のようなことが書かれていたと記憶しています。

  • 人柄や性格ではなく、具体的な事象に基づいてフィードバックを行うこと
  • ほめるとき:あの場面でのこの対応がこういう点でよかった、のようにフィードバックを行う
  • 改善を求めたいとき:あの場面でのこの対応はもっとこうであったほうがよかった、のようにフィードバックを行う

これを読んだとき、なるほど、と思いました。
知ってしまえば当たり前のようなことだと思うのですが、これまでの人生で、このようなフィードバックを受けたことはほとんどなく、過去の上司たちも8割方、人格と絡めたフィードバックをしてきたように記憶しています。

小学生の頃から知っておきたかった…と後悔したことのひとつなので、息子には早いうちに教えておきたいと思っています。「人格」と「意見」をわけて捉えると、人間関係に思い悩むことも少なくできるのではなかろうかと期待しています。

「意見」と「人格」を分けて考える

私は好き/嫌い(あるいはよく知らないので好きでも嫌いでもない)がはっきりしており、嫌いな人には極力関わらないようにする、という…いまひとつな解決策を用いて日々過ごしているのですが、仕事では好きではない人とも関わらなくてはならない局面も当然あります。

この言葉に出会うまでは、嫌いな人がよい意見を発していても素直に受け入れる気持ちになかなかなれず、批判的な発言をされるとまた批判してきた、のように捉えてしまっていましたが、この言葉を知ってから、意見は意見として素直に聞くことができるようになったように思います。少なくともそれまでよりは。

自分の意見に対して、常に批判してくる人には、嫌われているのだろうと思ってしまいがちですが、批判されているのはあくまで「意見」であって自分自身ではない、と考える必要があります。

実際には、この言葉を知る前の私のように、相手のことが好きではないためにただ批判をしている、というケースもゼロではないとは思いますが、それは相手側の問題と割り切るしかありません。

「意見」を批判されているのだと捉えることで、なぜその意見が批判されているのか、どうすれば受け入れられる意見を再提示できるのか、仕事を前に進めるための落としどころはどこなのか、を考えられるようになります。

実際に批判されているのが人格ではなく意見だとして、常に批判されている場合は、考え方に問題があるのかもしれないので、そういう視点でも考える必要はあります。

あの人は○○主義だから、とか、あの人は〇〇の思想を持ってるから、(こういう意見を言いがち)といった発言を耳にすることはしばしばあるので、意見と自分自身をどこまで切り離して考えられるのかは、時に難しい場合もあるとは思います。

平常心を保つ方法

頭ではわかっていても、意見や提案をバッサリ切り捨てられると、平常心を保つことは難しいので、こうしてブログに書いて気持ちを落ち着かせています。

私は書くことで多少なりとも気持ちの整理ができるように感じているため、ブログに書いたり、スマートフォンのメモ帳に書いたりして、一旦、思いを外に出すことですこしスッキリして日常に戻ることができます。

人と話すことでスッキリしたり、気持ちが落ち着いたりする人がいるのと同じ感じかと思います。

人を巻き込まないように、自分に合った穏やかな解決方法を見つけておくと、人生ちょっと生きやすくなるように思います。

2020年4月吉日



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