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2022年7月 参議院選挙


こんにちは、にわです。
昨年の衆議院議員選挙のとき以上に、自民党が圧勝するのだろうとわかってはいたものの、小2息子と夫と、日が暮れて暑さがすこしやわらいでから、投票に行ってきました。

 

自民党の中にも好きな政治家はいるものの、自民党のあまりの圧勝に、自民党政権のあり方や政策に対する支持を示すことになるような投票をするわけにはいかないと考えている私としては、やや暗い気持ちです。

 

私が何を求めて1票を投じるかは、2021年の衆議院選挙のときの投稿にまとめていますが、概ね変更はありません。選挙前によく耳にする話題で、個人的に違和感を抱いていることについて今日は投稿したいと思います。

  

「○○世代/世帯だから…」の違和感

最近よく耳にする「シルバー民主主義」という言葉。
高齢者は高齢者を優遇する政策を打ち出している政党や政治家に票を入れる→高齢者は人数が多い→高齢者が優遇される→子育て世代・子ども支援政策に予算が残らない…とネガティブに語られることが多い印象を受けます。

 

私としてはまずこの前提に疑問があります。
自身が高齢者だからと言って、高齢者優遇政党や政治家に投票する、などという単純な投票行動をとる高齢者が本当に多数派なのだろうか?

 

そして政治家は、自分に投票してくれる人を優遇してやろうというような人ばかりなのだろうか??

 

シルバー民主主義に異議を唱えるには、子育て世代や若者世代が投票に行くことだ!という意見もよく聞きますが、この意見にも個人的には違和感があります。

 

子育て世代のみなさんは、自分のことより子どもの未来を(もしくは自分のことと同じくらい子どもの未来を)考えているのではないかと思いますが、高齢者のみなさんだって多くは同じなのではないの??と思うし、政治家を志すような人は、自分を支持してくれる人だけ、でなく、みんなのよりよい未来を考えるものではないの???  

 

意見がある人自身が声を上げるべきだというのはもっともではありますが、政治とは、声が大きい特定の属性の人たちのことだけを考えるのではなく、国や社会全体としてよりよい方向に調整・意思決定・実行していくものではないのか。

 

不満を多く抱える層が発生すれば、治安悪化につながり、めぐり廻って自分たち自身の不利益になるので、特定の属性がほかよりも優遇されるような政策は、中長期的にはまったくよいとは思えません。

 

昨年のNHK大河ドラマで渋沢栄一のお母さんが栄一を諭していたように「みんながいいのが一番いい」という考え方が、遠回りのようで結局はみんなが望む社会への近道のように思います。

 

しかし多くのメディアや人々が上述のようなことを繰り返し発信しているので、私の思いは幻想なのだろう…とかなしい気持ちになります。

 

団塊ジュニア&就職超氷河期世代の私が子どもの頃、父はまだ若き三種公務員で、バブルの恩恵を受けている民間のお宅と比べて貧しい暮らしぶりだったので、「一億総中流」と聞くと、昔はネガティブな印象を受けていましたが、国民の9割が自分は「上」でも「下」でもなく「中流」という意識をもつことができていた時代があったなんて、今となっては嘘のようです。

 

「みんな将来子どもの世話になるのだから…」の違和感

近年は単身世帯も増えており、各種子ども手当や子育て支援を巡るやりとりにネガティブな反応を示す人たちに対してなされる、

 

「子どもは将来の納税者なのだから(大切にすべきである)」

「子どもがいないあなたも将来の年金は今の子どもたちの稼ぎから支払われるのだから(大切にすべきである)」

 

…といった説明に違和感を覚えます。
年金が賦課方式なのは個人のせいではないし、積立方式だったらよいのだろうか…。

 

「子どもは将来の納税者なのだから」という言葉は、国を治める政治家に向けて発信されているならともかく、投票者側の個々人に向けて発信されているのをみかけると、違和感があります。

 

日本の子ども向け政策や予算配分に疑問がないわけではないものの、属性による分断が発生しないような議論をすることはできないものだろうかともやもやします。削減可能な無駄はまだまだまだまだあると思うので、指摘すべきはまずはそこではないのかと個人的には思います。 

   

勝たせたくない政党を勝たせないための投票行動に抵抗がある…

自分の考えと100%同じ政党はないものの、投票する政党の選択にはあまり悩まないのですが、選挙区ではお目当ての政党から立候補者が出ていなかったり、政党は応援しても自分の選挙区の立候補者には賛同できなかったりで、選挙区の投票はいつも悩ましいです。

 

昨年の衆議院議員選挙のときに、ちきりんさんがVoicyで、どのようにしてどこに/誰に投票するか決めればよいのか、というお話をされていた中のひとつで、自分の選挙区の当落予測をインターネット等で確認して、議席を与えたくない政党が別の政党の立候補者と接戦を繰り広げていたら、他方の政党の立候補者に投票することであなたの1票は活きることになる、というような説明をされていました。

 

聞いていた時はなるほどなあと感心し、昨年の衆議院議員選挙の際にためしてみたものの、今回はあまりに何も魅力を感じない候補者を選択しなくてはならず、議席を与えたくない政党の立候補者を落選させるために、別の立候補者の名前を投票用紙に記入する、という行為に非常に抵抗を感じました…。

 

この人推しではまったくないのに…というもやもやが残る。立候補者個人に対してネガティブ寄りな場合、この投票行動はやや苦痛を伴うことになるので、割り切って投票できる人すごい…と思います。

 

選挙当日は、Voicyで、ちきりんさんと伊藤洋介さんの開票特番を聞いていましたが、おふたりとも露ほども関心がなさそうな政党に私は1票を投じているので、今日はその政党をフィーチャーしていそうな番組をネットで探して、どのような分析がされているのか確認したいと思います。

 

(おまけ) 野党にとっての公約とは

最後に、すこし前にVoicyパーソナリティでご自身も選挙に出たことがあって政治に詳しい伊藤洋介さんが、野党にとっての公約は実現するという約束ではなく、自分たちはこういう社会を目指している政党だということを示すためのものだ、というようなお話をされてきました。

 

よくネットで野党の公約なんてどうせ実現できないだろうという批判と思しき意見を見かけることがありますが、永田町の常識では、伊藤さんの話のようなことなのだろうと思います。

 

私も若い頃は同じように思っていましたが、会社という限られた組織の中でさえ、何かをやろうと思えば、1-2年では難しいと簡単に想像できることはたくさんあり、新しいマネージャや経営層に単年での結果を望んだりはしないので、野党の公約についても、守らなくてもよいとは思っていないものの、1-2年で実現できないことは承知のうえで、投票しています。

 

とくに日本は政権交代がほぼない状態が長く続いているので、短期間で結果を求めすぎない覚悟は、野党に投票する人たちには必要なのだろうと思っています。

    

2022年7月吉日

 

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