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続けることとやめること

 

こんにちは、にわです。
何かを続けることと、やめることについて、しばしば考えることがあります。

 

個人的には、継続することより、やめることのほうが難しいと感じます。そもそもまったく合わないことは、すぐやめる決断ができるので、悩むこともないのですが、それなりに継続できることをそのまま継続し続けることは、慣性の法則のごとくほとんど困難は伴わないため、やめ時が難しいです。

 

継続したほうがよかったことをやめて後悔したことより、やめたほうがよかったことを継続して後悔した経験のほうが圧倒的に多いため、最近は、どちらかというと積極的にやめる決断をすることを意識しています。

 

この投稿を書きながら、思考をうまくまとめることができず数日経過していたのですが、勝間和代さんの次のツイートを見かけ、YouTubeを拝見し、私が至りたかった結論はこれだ!と5分ほどの動画にまとめられている勝間さんはさすがだなあと思いました。

 

  

継続するものとあきらめるものの見極め方

詳しい説明は、勝間和代さんのYouTubeをご覧いただきたいのですが、勝間和代さんの「見極め方」に、私も同意です。今後はもっと早く決断ができるように意識したいです。

 

  1. 継続することで後退しないまたは上向くか否か(後退することを継続しても意味がない)
  2. 身近なロールモデルがいるかどうか(実現可能かの判断基準になる)
  3. 継続すること(プロセス)がたのしいか(たのしくないことをやっている時間はない)

 

続けて失敗したなと思っていること

部活動

小4から高3までバスケットボール部に所属していました。練習は好きだったのですが、小5になって先輩に混ざって試合に出るようになった頃から、たのしくなくなりました。小6になって他校とたくさん試合をする頃には、自分には向かないスポーツだと自覚するようになりました。上述のあきらめるものの見極め方の①③に該当しているのに、チームメイトに恵まれていたり等で、高3までずるずる続けてしまいました。

 

少々厳しい昭和の体育会系の部活だったので、時間的・精神的リソースを割き過ぎて、将来のことを考えず、高3の夏に部活を引退してからも、受験勉強に集中できず、大学受験に失敗したことで、ようやく自分の決断の遅さに気がつきました。

 

毎朝10kg自主ランニング

小6の頃には向かないスポーツだと自覚していた部活動ですが、やるからには向上すべく、瞬発力ではチームメイトに永遠に勝てそうもなかったので、まあまあ得意であった持久力で勝負しようと、中学時代は、チームの朝練が始まる前に、毎朝自主的に10kg走り込みをしていました。

 

どのくらい続けたかもう覚えていませんが、卒業して5年ほど経った頃に、直接なにかを教わったことはないけれど中学校に在籍されていたことは知っていた先生に偶然会って、「中学の頃、毎朝、走ってたよね。」と声をかけられたので、そこそこ長く続けたのではないかと思います。

 

しかし、この取り組みが私のプレーを向上させたかは微妙なところで、最終的に、疲労で脛骨にヒビが入って走れなくなり、中断することになりました。

 

毎朝10kg走る、というのも、決めてしまえば継続することはさほど難しくありませんでした。もちろん気持ちが乗らないときもあるのですが、活動の理由がモチベーション、というタイプではないので、決めたらやる、やれないことはそもそもやろうと思わない、というだけなのです。

 

これ、仕事でも同じだ…と書いていて気がつきました。同僚から「にわさんのそのモチベーションはどこから来るのですか?」と聞かれることがしばしばあるのですが、やるべきことをだたやっているだけで、モチベーションなんて最初からない…です。

  

やめたこと

最初に入学した大学

将来のことをろくに考えず、とりあえず適当な学部の国立大学を受験したことで、入学してもまったく楽しめず、両親に無駄なお金を払わせ続けている気がして、中退しました。

 

今にして思えば、学部を変更すれば志望校の受験は可能な程度のセンター試験の結果はとれていたので、可能な学部で入学してから変更するなりすればよかったです。両親に無駄な心配をかけてしまった…。

 

中退の決意を両親に話した時、「今やめたら、今後いろいろなことを途中でやめることになるのではないか。」と心配されましたが、部活動をずるずると続けてしまった後悔からできた決断だったので、「それは絶対にない」と即答できたし、そこについては自信がありました。

 

大学を中退しても、自立したい以外、とくべつやりたいことがあったわけではないので、日中はバイトや派遣などで仕事をして、とりあえず将来の就職に備えて学位は取ろうと、自分のバイト代で学費を払うことができる通信制の大学に入学し、無事卒業することはできました。

 

仕事

バイトや派遣や契約社員のあいだは、合わなければやめればよいと思っていろいろ試しました。当時、転職はまだあまりよく思われないことが多かったものの、自分の中でやめることに抵抗がなかったのは、続けることが必ずしも最善ではないという経験があったからだと思います。

 

32歳で転職したときには、さすがにまだ腰を落ち着けることができない自分に少々不安も感じましたが、今ではその職場で勤続15年になります。就職は、運とタイミングだと感じます…。

  

最後に

小学校4年から高校3年まで、なんとなく続けてしまった部活動との関りが、あと数年で50歳になる現在に至るまで、苦い思い出として自分の中に居座り続けています。が、過ぎたことをいつまでも悔やんでいてもしかたないので、後悔はしているものの、気に病んでいるということはありません。

 

高校3年までずるずると部活動を続けてしまったのは、ほかにやりたいことがなかったからで、もっといろいろなことに挑戦して、自分に向いているものや場所を積極的に探しに行くべきだったなーと思います。

 

いつだったか、キングコング西野さんが、何もやっていないのに何がやりたいのかわからないのは当たり前、いろいろ挑戦して初めてやりたいことが見つかるのだ、というようなことをお話されていたことがあり、やりたいことが見つからないまま、生活のために仕事をしている今の自分がある原因はこれだったのかと、すごく腑に落ちました。

 

勝間和代さんの「継続するものとあきらめるものの見極め方」で、あきらめるものの見極め方も明確になったし、今回の投稿を書きながら思考が整理できて、すこしすっきり。

  

  

2023年1月吉日

 

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